「青春ビックリ箱」

「青春ビックリ箱」

若気の至りという言葉があります。人は誰かしらその人生において少なからず恥ずかしい思い出というやつがあるものです。ちっとも似合わない珍妙な服を着てみたり、自転車を改造してみたり、自分の裸を鏡に映しては溜息をついたり、思春期の少年少女には悩みは尽きず故に感傷的な気分に浸っては恥ずかしいポエムを書いたりなんかします。

私も中学二年生の頃くらいからノートの端に絵を描いたり詩を書いたりしていました。自意識過剰な若い頃の愚かな行いは、
歳を重ね大人になってから幼馴染と思い出話なんかすると「あの頃は若かったから」とお決まりの文句が自然と飛び出してきて笑い話で済ませられるのですが、
恐ろしいコトに文章や絵などは時を越え残ってしまうのです。

私が実家のダンボール箱を見つけたのは数年前の事でした。そこには中学から高校にかけての悩ましいポエムや小説、漫画などがあの頃の湿り気を帯びてギッシリと詰め込まれていて、その多作ぶりとちらと読んだ内容に私は腰を抜かしました。「一体何を考えているのだろう」と我ながら疑いたくなるようなものばかりなのです。

「夢うつつに」

夢うつつに 君は何を思う
青い静かな残響の中で
流れる我が精神の川
流れは次第に大きくなり
暗い澱みに吸い込まれ
やはりその中でも私は安息を願った
惨めったらしい 何を恐れるというのだ

今では中二病という言葉があるようですが丁度中学二年生の頃に書いたポエムです。
恥ずかしくて死にそうな詩を堂々と原稿用紙に署名付きで書いています。意味がわかりません。

続いて小説形式のものを、真っ黄色に日焼けした400字原稿用紙が大量に出てきました。

「新聞配達」

少年は、午前三時に起き一時間かけて徒歩で新聞配達に出かける。集配所につくと新聞に広告を折り込み自転車に跨り夜道を走る、まずN病院に配達する。

「おはようさん」

「おはようございます」

少年は警備員にスポーツ新聞を手渡すと入り口の自動扉を手でこじ開け入院患者用の新聞を箱に三つ折にたたんでから入れる。

小雨が降ってきた

上着を脱ぎ新聞の上に掛けるとゴムバンドで固定し病院の裏手の貧民街へ向かう

少年の配達部数は九十部あまりだったがそのほとんどが離れ離れに存在しているし
配達地域は集配所からかなり離れていて、地域手当が少しはつくのだが、給料は配達部数に比例していて部数を増やすには配達を二回に分けなければならない、そうなると遠い距離を往復することになってしまう。それに少年にとって一番憂鬱なのが五匹の凶暴な犬を飼っている家があることだった。

雨は次第に激しくなり自転車の前後に積んである新聞を濡らした。あまり濡れると集配所に取りに帰らなければならない・・・

私は中学生の頃に新聞配達をしていたのですがその頃の作品のようです。変な所に妙にリアリズムがあります。
被害妄想的に延々と愚痴のような文章が続いたあげく結局予想通り犬に吠えられるという結末を迎えます。身も蓋もありません。

「発狂血族」(ものすごいタイトルです)

~君はなぜ意味を悪い方に解するのか~(このサブタイトルは我ながら意味が良くわかりません)

六月二十九日、暴雨、雷雨、体調良好

私は二階の自分の部屋から向かいのヒカリ荘を眺めていた。酷い雨だ今まで降らんとあれだけ言ってやったのを見返しているようである。
窓から薄緑色の風が吹き込み、黒いガス状の雲が降りてきて雨雲の塊を形成した。雨雲は収縮、膨張を繰り返してから白い雲に色調良く溶けた。
私は煙草を取り出して恭しくふかしながら、なぜか傘を差した田舎の女学生を思い浮かべた。孤独に苦笑した。

ふと、カメラのフラッシュのように雷光が瞬いた。小鳥が二羽、向かいの方へ飛び去った。小鳥が非難すると雷鳴が湿りきった大気を揺り動かした。
雨が激しく降り続く陰鬱な日に意識がはっきりとしてくる私の皮肉な精神は肉体と共に少し病んでいるようだ。
気分が良いので夜まで書き物をした。

昔住んでた(原文のまま)町のことを思い出していた。幼い頃のせいであろうか記憶の断面に幽かに眩い光が溢れている日差しの良い日ばかり思い出す。
ふと傍にある電気スタンドを瞼に当てこんな感じであるかなと思ったが馬鹿らしくなった。
私にはどうも魚の死に絶えた水槽に照らされたライトの方が好いていると感じた。

蚊が飛んできた。電気スタンドにぶつかった。

私は小学校の頃に、性教育の授業の時間にカラスが飛んできて窓ガラスを突き破り死んだことを思い出した。
光がガラスに反射して目が眩んだカラスは突っ込んでしまったのだろうか、先生は手際良く片付けて「カラスがガラスに突っ込んだ」と陰惨な洒落を言ったが
そのカラスの嘴はむごたらしくひんまがり、奇怪に折れた羽はピクピクと痙攣していてとても笑えるような光景ではなかった。
私はカラスを不憫に思ったが給食の時間になるとその事は忘れてしまっていた。

これを書いた頃は17歳で高校を辞め、自堕落な生活をしながら今でいうひきこもりの状態でした。
反抗心に燃え、担任と激しく衝突し、同級生からは英雄のように賞賛されていたと思い込んでいた当時の私は、
結局のところ家族からも厄介者扱いされている非力な存在である事に気がつきニヒリスティックな気分に浸っていました。
この頃に太宰治にかぶれて影響丸出しのたくさんの未完小説を書いています。

今のようにインターネットを扱える環境になかったのですが日本の近代文学は国語の教科書に載ってある作家を年代順に森鴎外から大江健三郎まで
乱読し巻末の解説を読んでは外国の作家の名前を憶え図書館に通いました。

トルストイに始まりドストエフスキーにサルトル、カミュ、セリーヌ。小説と名のつく物は朝から晩まで読みまくりました。
読書家であった父の本棚が私の部屋に移動した事が運のツキでした。カフカの「変身」に衝撃受け、淡々とした描写から無慈悲なラストへのくだりは未だに私の
漫画作品にも影響を残していると思います。小説かと思って手に取った文庫版のつげ義春の「赤い花」と出会ったのはこの頃でした。その当時はなんだか井伏鱒二っぽいなあ
と感じながら別に有名な人でもないんだろうなと思っていました。

「雨の日」

丁度この場所からだと向かいのアパートが良く見えた。店の中は良く晴れていた昼間の光線を皺のように刻みつけたままで外とは対照的に妙に明るかった。
しかし私が帰る準備をする頃には、ゆっくり陽が翳ってきて、外では静かに小雨が降り出していた。
先程の向かいのアパートの部屋には小柄な老婆がバルコニーにあった鉢植えを部屋の奥へと運んで行った。
老婆はこちらの視線に気付きでもしたのか少し開いていたカーテンを素早く閉じてしまった。その瞬間、私は老婆と目を合わせてしまったような気がした。

私は雨が激しくなったので店主に傘を借りてその日はどこにも寄らずに真っ直ぐ自分の部屋に帰りそのまま翌朝まで眠ってしまった。

翌日、四月の初めだというのに、深々と冷え込む朝だった。突然けたたましく電話が鳴った。そういえば金曜日の夜に父親から私の元を訪れる約束があった。私は仕事の帰りに父の好きな酒でも買って帰ろうと思いいつもより多めに金を持って職場に向かった。

昨日のアパートのバルコニーには黄色いシャクナゲが小さな鉢にまだ弱々しい蕾をつけて置いてある、しかし依然カーテンは締め切ったままであり私は何の気なしに閉店時間まで商品の棚卸しをしていた。

突然向かいのアパートから若い学生風の男が飛び出してきた。店主は怪訝な表情をひとかけらも隠そうとはせずに愛想のない声で若い客に何が入用なのかを尋ねた。

男は店主の牽制を気にも留めず苛立った様子で
「レンチと木炭が欲しい」と早口で言ったきりおもむろに財布を取り出した。

ぼんやりとその様子を見つめていた私は何かしら奇妙な既視感と変に合点したような気持ちになっていた。

「あのアパートの連中はみんないかれてる」

木炭を引っ張り出しながら店長が小声で口走ったのを私は聞き逃さなかった。

私は反射的に護身用のスタンガンを取り出しスイッチを入れた。

私はあの建物の風貌自体を嫌悪しているのを今はっきりと意識していた。
牡蠣殻のようにグロテスクに入り組んだ部屋の中でまるで老いくたびれた老人の性器のように汚らしい熱を帯びて蠢いている住人達、彼らは腐った血管みたいな赤錆だらけの排水溝に自らの垢を流しては痛めつけられたような顔をしながら嬉しがっていやがるのだ。

まだまだダンボールの中には骸骨の絵だとかあれこれ恐ろしげなビックリする物が詰まっているようです。
しかし、十余年経った今の私にもそれらをひっぱり出す勇気も処分する決意も持てないでいるのです。

2012 6/19